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すると、何てこつた、下手の渡船場の対岸にひよつこり房一の姿が現れた。河原に出ようとするらしく、自転車を厄介さうにわきに抱へて、崖縁についた急な小路をのろのろと危つかしい恰好で降りて来る。やつと判つた。今の今まで、徳次はそこに渡船場があるといふことを度忘れしていたのだつた。
「すると、何ですか、十年契約といふやうなことにでもなすつたんですか」
恐らくその一かたまりでは赤山廃坑の話がさつきから賑かだつたのだらう。さう勢ひこむやうな調子で喋つていたのは富田といふ仲買だつた。
「いや」と、喜作は相変らずきつぱりと、煩うるさがりもせず答へた。
「うん、行くよ。――だが、夕方でいゝだらう」
「どうぞ」
「あ、神原の喜作さんだ」
「あ、いゝ、いゝ。なんでもありやしない。今すぐ行かう」
我々はそれから「き」の字橋まで口をきかずに歩いて行ゆきました。……
「――?」
房一は目を上げて何か訊きたさうにした。それを押へるやうに、
今、房一の顔に現れているのはさういふ怒気だつた。ただ、それは盛子に向けられているのでなしに、房一の内部に立ちはだかり、自ら押へつけしている、それから来る圧迫感だつた。――
と、房一はぐいと身体を起した。それがあまり突然だつたので、傍にいた徳次は慌てて立ち上つた。