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    「さうだつてねえ」

    房一は面喰つて、ぽかんと口を開けた。

    江戸時代には箱根の温泉まで行くにしても、第一日は早朝に品川を発たって程ヶ谷か戸塚に泊る、第二日は小田原に泊る。そうして、第三日にはじめて箱根の湯本に着く。ただしそれは足の達者な人たちの旅で、病人や女や老人の足の弱い連れでは、第一日が神奈川泊り、第二日が藤沢、第三日が小田原、第四日に至って初めて箱根に入り込むというのであるから、往復だけでも七、八日はかかる。それに滞在の日数を加えると、どうしても半月以上に達するのであるから、金と暇とのある人々でなければ、湯治場めぐりなどは容易に出来るものではなかった。

    と、舌ざはりの悪いものでも口にしたやうな調子で、練吉はぽつんと云つた。

    「袴はそこですよ。足袋を先きにはくのよ」

    看護婦がそつと上つて来た。

    「さうです、一寸」

    「いや、危険はまづない見込だ。だが、何と云つたらいゝか――」

    と、小谷は人差指と中指を二本突き出して見せて、

    腹に物がつめこまれると、さつきはあんなにへたばつてしまつた神主の一隊もどうにか元気がついたやうであつた。これからいよいよ町通りである。自分の家の前を、妻子や使用人達がずらりと見物している中を、しやちこ張つて、堂々と歩かねばならないのである。で、大半はいつのまにか草履や下駄にはきかへていたものの、まだあの木箱をひきずるがらがらいふ音をたてて、紅い色の滲んだ、紙衣の神官達は、笏を前に構へ、気を張つて真正面を向いたまゝ繰り出して来た。俳優で云へば、まさに花道の出にさしかかつて来たところである。

    それが堂本だつた。

    「閉口でしたな」

    「いゝえ、なんの。おれんとこへなんか。――あんたは忙しい身だもの」

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